イチロー選手生い立ち分析②野球を愛した理由

引退会見より

イチロー選手がなぜ野球をあれ程までに愛せたのか?そこには、イチロー選手の生い立ちに重要な秘密がありました。

お読み頂きありがとうございます。

Family Partnersの菅原でございます。

前回は、イチロー選手の性格・能力分析とお父さん(鈴木宣之さん)の性格分析をしました。

まだお読みになってない方、是非ご覧になってから、生い立ち分析②を読んで下さい。ストーリーが繋がります。

イチロー選手生い立ち分析①イチロー選手が生まれた理由

今回は、

  1. イチロー選手の生い立ち
  2. 家族の世代間連鎖
  3. 野球を愛した理由

を書いていきます。

⚠️あくまでも菅原の分析です。事実かどうかはイチロー選手とお父様しか分からないので、菅原の想像したストーリーだと思ってお読み下さい。

①イチロー選手の生い立ち

1973年10月22日に誕生。

生後間もなく名古屋市守山区から西春日井郡豊山町へ転居。

二人兄弟の次男だったが、祖父「銀一」から「一」の文字を取り「一朗」と命名された。イチローと兄に限らず、祖父「銀一」の全ての孫の名には漢字「一」が付けられています。

☆3歳で野球を始め、

小学校3年生からは、ほとんど毎日休まず練習してきたイチロー選手。

当時、一週間のうちで友達と遊べる時間は、たったの5〜6時間だったそうです。

☆一週間のうちで5〜6時間だったと言う事を考えると、一日に50分くらいしか、友達と遊んでいない状況になります。

なぜここまで野球を愛せたのでしょうか?

小学校時代は地元の少年野球チーム・豊山町スポーツ少年団に所属。

エースで4番として活躍し、6年生の時には全国大会に出場した。

小学3年生の頃から、学校から帰宅後に近くの公園で父親と野球の練習をした。

☆学校から帰宅後と言うことは、夕方4時ごろでしょうか?そこから父親と練習を毎日毎日行います。

(イチロー選手の脳にどのようなものがinputされているのか?)

しばらくすると、飛距離が伸び場外ホームランを連発するようになったため、町内にある空港バッティングセンターにほぼ毎日通い詰めるようになった。

3年生の時には速度100キロの球を打っていたという。

バッティングセンターに通いつめるあまり、一般用の球速では満足できなくなり、イチロー選手用の練習機材が準備されていた。

☆父親からは、料金は気にせずボール球には手出ししないよう指示され選球眼を磨いた。同センターにはイチロー選手専用8番打席が現在もある。

なお、同時期に年齢が一つ上の稲葉篤紀も同じバッティングセンターに通っていた。稲葉は「隣で同い年くらいの奴がめっちゃ速いボールを簡単に遠くまで飛ばしていた」と話している。

Wikipediaイチロー選手より抜粋

その後、中学・高校・プロ・メジャーにて活躍していきます。この部分は上記Wikipediaにてご覧になって下さい。

②家族の世代間連鎖

家族の世代間連鎖とは、何?と言われる方に簡単にご説明をします。

例えば、政治家の家のこどもは政治家になりやすく、医者のこどもは医者になりやすい。

暴力を受けたこどもは、暴力をする親になる可能性が高まり、貧困家庭のこどもが貧困家庭になる確率は、それ以外の家庭よりも高まります。

(☆虐待を受けたこどもが虐待をしない親になる可能性ももちろんありますし、貧困家庭から脱却するこどもも沢山います。ただ、他と比べてなりやすい傾向があります。)

なぜか?

家族の中で、行われた言動を脳がinputし、

無意識の内に現実世界にoutputしてしまう。

(脳に入った情報しか出ません。現実を変えようと思ったら、脳に再inputする必要があります。)

これを家族の

世代間連鎖

と言います。

では、この家族の世代間連鎖はイチロー選手の家族でどのようなものがあったのでしょうか?

イチロー選手の脳に何がinputされているのか?

イチロー選手は入った情報をどう感じ、今のイチロー選手の基盤が出来たのか?を考えていきます。

お父さんの想い

イチロー選手のお父さん(鈴木宣之さん)の行動と想いを分解していきます。それは、イチロー選手の脳に何が刻まれたのか、

みなさんと一緒に理解を深めてみましょう。

お父さんの性格typeは覚えていますでしょうか?

わからない方は以下↓ご覧になって頂けると理解が進むと思います。

イチロー選手生い立ち分析①なぜイチロー選手が生まれたのか?

お父さんの性格は、温情主義×種生まれ

6種類の性格の中で一番優しく、情愛が深く、

6種類の生まれの特性の中でも一番優しく、情愛が深い。

この2つが掛け合わさると、

①愛情の塊②思いやりの塊③激情の塊

がお父さんのエネルギーになります。(愛情がありすぎる故に、一歩間違えると、過干渉・過保護にもなりやすい方です)

それと企業家だった事もあり、

経済的にも時間的にも余裕があった。

この上記の①②③の塊と、時間的、経済的な余裕があったお父さんがイチロー選手に3歳から野球を教え、小3から公園で一緒に練習、バッティングセンターに付き添い続け、学校での練習や試合にも足繁く通っていました。

イチロー選手にどれだけの時間を費やしたかを考えると、

お父さんへのイチロー選手への想いが感じ取れるのではないでしょうか?

(さすがに菅原もこれだけの時間と情熱をこどもに費やせるだけの想い、エネルギーがありません。)

お父さんの想い×時間=エネルギー

このエネルギーをイチロー選手が生まれた時から注がれ続けたと考えると、イチロー選手が他の選手と圧倒的に違うエネルギーを受けて来たことが分かるのではないでしょうか?

そして、まだあります。エネルギーに加わる大事なスパイスがあるのです。

それは

野球

です。

この野球はどこから来ているのでしょうか?

 

 

答えは、お父さんの生い立ちにありました。

お父さんは 高校在学中に外野手として野球部で活動。3年生のとき、夏の愛知県大会ベスト4進出にするほど、野球少年だったそうです。

 

 

つまり、

おとうさんが野球好きだったんです。

 

好きな野球を息子とする喜び、

野球好きなお父さん方なら、

 

息子とのキャッチボール

  

男のロマンですよね。

 

  

イチロー選手に連鎖したものは、

 

お父さんのエネルギー(想い×行動)

       ×   

      野球好き

 

これがイチロー選手に強力に家族間連鎖したと考えています。

  

③野球を愛した理由

イチロー選手が野球を愛した理由が、段々とみえてきたのではないでしょうか?

 

イチロー選手の性格と能力、お父さんの性格、

 

それが絡みあって、

 

伝説のメジャーリーガーイチロー選手

 

が輩出されました。

そこには、

  

野球愛

  

がなくてはなりません。

 

野球愛は、どのようにして出来たかと言うと、

 

お父さんがイチロー選手の引退の際に

  

「あの小さい子が45歳、メジャーリーガーになって、ここまでやってきた。うわーっと涙が出た」

  

と発言されています。

  

あの小さかったイチロー選手とキャッチボールを始めた日から、40数年。どれだけの想いと時間をイチロー選手にかけてきたか。

お父さんの想いとして、

初めてイチロー選手がお父さんに投げたボール。それを受けた時に、お父さんの喜び。

イチロー選手がバットを持って、ボールを打てるまで何度も何度もお父さんが投げて、初めてイチロー選手がボールを打った時のあの喜び。

野球部に入りたいといい、野球部を選択した時のお父さんの喜び。

初めてマウンドにたったイチロー選手を見た時、打席に立った時のお父さんの喜び。

それは、

  

イチロー選手とお父さんとの野球をする喜びの記憶です。

(参照 犬飼ターボさん著 シグナル

  

それが

 

イチロー選手の野球愛に繋がったのだと分析しています。

  

生い立ちの中の喜びの記憶が、未来への種となり、大人になって芽生えます。

振り返ってみると、みなさんが愛しておられるものの中に、幼少期に感じていた親との喜びの記憶がある事に気付きましたか?

  

気付いて

「あっ」

と声が出た方、ご連絡お待ちしています。喜びの共有をしましょう。

いかがだったでしょうか?

2回に分けて、イチロー選手の性格・能力・お父さんの性格分析と、生い立ちを辿っていきました。

親の愛、イチロー選手の野球愛、こうして家族のストーリーが出来てきます。

イチロー選手の様な伝説に残るメジャーリーガーを輩出する為には、本人の努力以上に、親のエネルギーも必要だと言う事を改めて感じました。

そして、親との喜びの記憶は、こどもの未来の種へと変わります。

こどもと喜べる時間を作りましょう。

  

笑い合いましょう。

あなたにとってかけがえのない時間には限りがあるのですから。

親子の喜びの記憶が、次世代のイチロー選手につながりますよ。

  

そして、読んで下さったあなたもきっと、あなたにしかないストーリーがあります。読んで下さった方の自分のストーリーが輝きますように。最後までお読み頂きありがとうございました。

  

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